医学

「宇宙飛行士の運動器変化」文献抄読

今回、投稿が大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。

今回は宇宙飛行士の野口聡一さんが5ヶ月間の宇宙滞在から帰ってきましたので,それに因んで宇宙医学についての文献を探してきました。現状の野口聡一さんの身体状態が少しおわかりいただけると思います。

また地上と宇宙での違いは決定的に違います。その違いをより詳しくまたそこから学べることを学んでいきましょう。

要約

宇宙飛行士の骨量減少は,骨粗鬆症の約10倍の速さで減少し,骨折や尿路結石のリスクが高まる。このリスクを減少する目的で,予防的ビスホスホネート投与に関する宇宙医学研究が行われている。宇宙飛行では筋萎縮・筋力低下と心肺機能低下が生じる。宇宙飛行士は有酸素運動と筋トレからなる約2時間の運動プログラムを実施している。宇宙飛行では,身長は1週間で4〜7cm伸び,半数の宇宙飛行士は腰痛を経験する。宇宙飛行士には,椎間板ヘルニアの発生頻度が高い。宇宙飛行中の整形外科疾患として,手の擦過傷や打撲が最も多く,腰部や肩の損傷がこれに続く。

はじめに

人類初の有人宇宙飛行は1961年のロシアのガガーリンに始まり,今日までに550人以上が微小重力での生活を体験しました。

2000年より国際宇宙ステーション(International Space Station;ISS)への長期宇宙滞在が始まり,宇宙航空研究開発機能(JAXA)はNASAやロシアのパートナーとしてISSの国際運用や宇宙医学実験に参加し,有人宇宙技術の経験と知識を積み重ねてきました。

人体は進化の過程で地球環境に適した構造と機能を獲得してきたので、有人宇宙飛行では様々な心身への影響が生じています。

今回は宇宙飛行の骨量減少、筋萎縮、全身持久力や脊柱への影響、軌道上運動トレーニング、及び整形外科疾患の概要を紹介する。

 

宇宙飛行の骨量減少

老人性骨粗鬆症は、加齢に伴うカルシウム吸収能低下などにより65歳以上の高齢者に多く。大腿骨頚部の骨量減少率は1〜2%/年である。

閉経後骨粗鬆症は、エストロゲンの欠如が原因で50〜70歳の閉経期以降の女性に生じ、骨量減少率は月経不順期では2〜3%/年、その後は老人性骨粗鬆症と同様に1%/年となる。

宇宙飛行の骨量減少は、骨への長軸荷重負荷減少が原因で、骨量減少は1〜2%/月と、老人性骨粗鬆症の約10倍に相当する。

宇宙飛行の骨量減少は、骨が本来担う荷重負荷に反比例する傾向があり、負荷を担う大腿骨、骨盤や腰椎で大きく、上肢では変動が少ない。

DXA(dual energy X-ray absorptiometry)による宇宙飛行の骨量減少率は、大腿骨近位部で1〜2%/月、腰椎で1%/月である。QCT(quantitative computed tomography)での大腿骨近位部の骨量減少率は、海綿骨2.7%/月、皮質骨0.4%/月、全体1.2%/月で、骨量減少は骨代謝の活発な海綿骨で著しい。

皮質骨は内側から薄くなり、皮質骨多孔性は増加する。帰還後の骨量回復には3〜4年間を要し、飛行前値まで回復しない場合もある。

宇宙飛行では、骨吸収マーカーは約2倍に増加し、骨形成マーカーは低下する。

骨吸収と骨形成の著しいアンカップリングが生じるので、骨量は急激に減少する。

骨吸収亢進は、帰還後しばらく上昇が継続し、1〜4週間かけて正常化する。

一方、骨形成マーカーは、宇宙飛行が終了し再び歩行を開始すると亢進する。

宇宙船内は紫外線が遮蔽され、飛行中の25(OH)Dや、1,25(OH)2Dは低下する。

血清イオン化Ca濃度は高まる傾向になり,副甲状腺ホルモン(PTH)は低下し、尿中Caの排泄は増加する。

年次医学検査で25(OH)Dを測定し、基準値(30ng/ml)に満たない場合には、25(OH)Dを投与する。

長期滞在宇宙飛行士には、毎日1200mgのカルシウムと10μgのビタミンDを含むバランスのいい栄養素を含む宇宙食(約2400kcal/日)と、ビタミンDサプリメント(cholecalciferol,800IU)を提供する。

JAXAとNASAは予防的ビスホスホネート投与により宇宙飛行士の骨量減少と尿路結石のリスク軽減効果を高める共同研究を行なっている。

通常行われている栄養摂取と抵抗運動に、ビスホスホネートを併用すると、宇宙飛行の骨量減少と尿中カルシウム排泄増加はほとんど予防できることが確認されつつある。

 

宇宙飛行の筋萎縮

筋線維は、ミトコンドリアに富み酸素を利用した持続的収縮が可能な遅筋線維(TypeⅠ、赤筋)と、解糖(ATP分解)による瞬発的収縮が可能な速筋線維(TypeⅡ、白筋)に分けられる。

速筋線維は、持続的収縮に向くTypeⅡaと、そうでないTypeⅡbに細分される。

遅筋線維は、姿勢維持などに関係する抗重力筋に多い。

速筋線維は、力の発揮し、速い運動を行う随意筋に多い。

下腿のヒラメ筋には遅筋線維が優位に分布し、腓腹筋は遅筋線維と速筋線維が50%ずつ存在する。

サルコペニアでは、加齢や疾患により筋肉量が減少し、握力や下肢筋・体幹筋など全身の筋力低下が起こる。

また、歩くスピードが遅くなる。

杖や手すりが必要となるなど身体機能の低下も生じる。

筋横断面積低下に加え、筋線維数も減少し、筋収縮速度は低下する。

筋線維タイプでは、素早く大きな力を発揮する速筋線維(白筋)が減少し、筋線維組成は遅筋化する。

一般に、30歳頃から筋力低下が始まるが、60歳までの筋力減少率は年間0.7%と穏やかに進むので顕在化することは少ない。しかし、60歳を超えると筋力減少率は年間2%に増加し、80歳での最大筋力は60歳時の半分まで低下する。

宇宙飛行の筋萎縮は、体幹筋や大腿四頭筋などの抗重力筋(遅筋、赤筋)がより萎縮しやすい。

筋横断面積は低下するが、筋線維数は変わらない。

宇宙滞在から帰還後の筋生検では、筋線維の太さはヒラメ筋TypeⅠ>ヒラメ筋TypeⅡ>腓腹筋TypeⅠ>腓腹筋TypeⅡの順に減少し、遅筋線維(TypeⅠ)に速筋線維(TypeⅡa、Ⅱb)が混在する遅筋線維の速筋化を認めた。

筋萎縮が進行すると筋力や筋持久力が低下し、船外活動や緊急脱出は困難になる。

地球帰還後の歩行では、腰部、大腿四頭筋、下腿三頭筋に筋肉痛を生じる。

宇宙飛行の筋萎縮変化は、最初の1〜2週間が最も激しく(下腿三頭筋で約1%/日)、その後次第にゆっくりと進行する。

ロシアのミール宇宙船や、ISS初期運用(日本人搭乗前)のデータによれば、宇宙滞在中毎日2時間運動を行うが、6ヶ月間の長期宇宙滞在後には、筋量・筋力・最大酸素摂取能は平均10〜20%最大30%)減少し、帰還後の回復には約6週間を要した。

 

宇宙飛行の全身持久力

全身持久力の指標である最大酸素摂取量は、20歳ごろから加齢とともに低下する。その低下率は、特別なトレーニングを行っていない一般人では年間1%であるが、持久的な運動を継続しているランナーでは年間0.4%に軽減する。

宇宙飛行士の船外活動や緊急脱出の場合には、全身持久力とスタミナが必要とされる。

宇宙飛行中の最大酸素摂取量は、宇宙滞在2週目で飛行前より17%低下し、その後軌道上運動により改善する。

地球帰還後30日で飛行前値まで回復する。宇宙飛行初期の最大酸素摂取量低下は、運動不足(宇宙船到着直後、宇宙酔い)や循環変化(体液シフト、循環血液量変化)などが、帰還直後の低下は起立性低血圧や循環血液量変化などが要因と推察されている。

 

軌道上運動トレーニング

国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士は、有酸素運動(自転車エルゴメータ、またはトレッドミル)と筋トレ(改良型抵抗運動機器)からなる約2時間の運動プログラムを実施する。

宇宙飛行の初期は微小重力での運動に慣れ、中期な体力維持を図り、後期は帰還後歩行に備える。飛行の時期と体調に合わせ、運動の種目・強度・時間などを適宜調整する。

自転車エルゴメータでは、インターバルトレーニング(疾走と緩走を繰り返す)や、ファルトレックトレーンング(山歩きなどを想定した運動)など複数のプログラムを準備し、目標心拍数Borg指数を指標に運動する。

船外活動に備えて、上肢の自転車運転で前腕の持久力を高める。

トレッドミルによるランニングの際には、肩と腰を保持するハーネスとバンジーコードを用いて体重の60〜100%相当の体軸荷重を体幹に加えながら5〜12km/時の速さで走る。

改良型抵抗運動機器(バキュームシリンダーを用いて抵抗力を発生)で、約20種類の筋トレを行う。Dead lift,shoulder press,squatなど体幹・上肢・下肢の運動を計6種目選択し、負荷強度(軽・中・高強度)を毎日変え、効果的に筋肉に刺激を与える。同じ運動種目の連日実施を避け、筋損傷・筋疲労を予防し筋肉の超回復を図る。宇宙船内で高強度の有酸素運動や筋トレを行い、最大酸素摂取量や筋力の低下を軽減することが試みられている。月・火星への国際有人探査では、小さな宇宙船での宇宙移動が想定されている。小型で故障の少ない運動機器と、より短時間で効果的な運動プログラムの開発が期待されている。

 

宇宙飛行の脊柱変化

宇宙では重力に抗して姿勢を保持する必要はなくなり、睡眠時などの無意識下では屈筋と伸筋のバランスによるneutral body postureをとる。

重力から解放されると2日で身長の伸びが認められ、1週間後には身長は4〜7cm伸びる。

宇宙飛行の腰痛は、アポロ時代より報告されspace adaptation back painと呼ばれる。

宇宙飛行の腰痛は、飛行2日目前後が最も多く、その後しだいに軽減する。

腰痛の発生頻度は52%、軽度の腰痛を就寝時に自覚することが多い。

脊柱には椎間板間隙増加・脊柱湾曲減少・脊髄馬尾伸長が生じるが、腰痛発生のメカニズムは明らかではない。宇宙飛行の腰痛は、胎児姿勢(膝を胸に抱え、腰椎を前屈)で軽減することが多い。

鎮痛剤を服用する場合もある。ロシア製のペンギンスーツは、脊柱に軸圧をかけることができる。

宇宙飛行士の椎間板ヘルニアの頻度は、一般人の頻度より4.3倍多いとの報告がある。

ソユーズ宇宙船で地球帰還時には、地上の数倍の重力負荷を受ける。

宇宙船の姿勢が制御できない「弾道突入モード」の場合には、8G程度の重力負荷を受けるリスクがある。長期宇宙飛行では脊柱への荷重負荷は低下し、椎間板はswellingした状態となり、椎間板の基質合成は影響を受ける。地球帰還時には、swellingした椎間板ヘルニアに数Gの圧縮負荷が加わるので、椎間板ヘルニアのリスクが高まるのではないかとの懸念がある。

 

宇宙飛行士の整形外科疾患

NASAは宇宙飛行士の地上の訓練や日常生活での整形外科疾患に関して1987〜1995年の医学記録を検討した。

94名の宇宙飛行士のうち、骨折26件、靭帯・軟骨・軟部組織損傷は36件で、手術は28件であった。

スキー、コンタクトスポーツ、外でのランニングなど各自の責任で行った運動時の外傷や、船外活動スーツによる負傷が多い。

搭乗予定の宇宙飛行士は、スキーやコンタクトスポーツは禁止とされた。

さらに個々の飛行士の健康維持や体力向上のために、運動やリハビリの専門家の指導を受けることや、プール環境を整備することなどが提言された。

宇宙飛行中の整形外科疾患の検討では、手の擦過傷や打撲が最も多く、腰部や肩の損傷がこれに続くが、軽度の損傷が多い。

国際宇宙ステーションでは、船内モジュール間移動やロックの着脱による手の外傷や、軌道上運動時(体重負荷のハーネスが合わない)や船外活動(船外活動スーツによる肩の疼痛や、グローブによる爪甲剥離)の損傷が報告されている。